西穂高岳 山行報告
2010年12月23日〜25日
中野
年末年始山行はここ8年くらいの恒例行事であるが、クリスマス山行は初である。1日休暇を入取すれば4連休になり、高速代が安く交通費の節約になり、絶好の好機と捕え計画しました。徳本峠、霞沢岳はハードな山行になりそうなのでそのトレーニングにも役立つし、冬季西穂の頂には未だ立ったことはないし、長年の希望でもある。
23日、明け方近くに自宅を後にする。予定通り新穂高温泉駅午前11時30分発のロープウェイに乗り込み、12時過ぎには西穂高口に到着。
食事し準備を整へ13時頃に出る。
西穂高山荘まで無害期で約1時間半の道程、トレースもありその時間程度で到着。
駅を降りてかも雪は降り続いていたが、小屋前のテン場は半端な状態ではなく強風雪でテント設営時、飛散する物は確保しながらになった。
この地には他に誰もいなく、一人のみ。クリスマスを雪山で過ごす人達でテン場は少し賑わい、小屋もそれなりに入って入ると想定していたが、小屋中も10人程である。
天候はクリスマス寒波到来で荒れるとの情報だが、高度2380mともなると実感はある、時間が経過するに風雪が応える。
いつも通りテント設営後ストーブを相手に一服し、水作りにかかる。先ずテルモスに入れ、次に折り畳み式の水筒を満たす順である。雪を取り入れるので入口は開けた状態で作業をするが、寒く時折閉める。軽量化の為ストーブ用の台、今回は省いた、安定は良くないので、手袋を嵌めコッフェルを持ち慎重に進める。
上半身を振り向き、物を取る時その手を離してしまった。ストーブは横転し炎が上がっている、ガス部分を持ち手袋を嵌めた両手で正確に空いていた出入口から放り出す、セーフである、テント炎上は免れた。
出入口部分が溶け少し穴が空いた程度ですんだ、この風雪の中、テント及びツェルト等の装備消失はかなりのダメージを追う事になる、幸い横に快適な小屋が有るのでその心配はないが。中は水浸しになるが、テント消失に比べたら問題はない。
午後7時近くになった時外から声が掛かった、今迷いながらテン場に着きました、横に張るので宜しくお願いしますとの挨拶だった。単独で、廻りが暗くなり小屋付近で1時間ほど彷徨ったとか、4時頃駅に着き約3時間もかかったとか、テント越しに暫く会話をする。東京からだと言っていた。
これでこの山域は小屋泊10人、テント泊2人、計12人である。
夜半からの風雪は激しくなり、時折の突風はテントを揺らし、雪の飛礫がテント叩く、新しい羽毛のシュラフの威力か寒さは然程感じない、温度計はないが恐らく−15度以下に下がっていると思われる。
この天候は予想以上に悪化している、これより上はトレースもないし、視界も悪い、明日よりも明後日とドンドン更に悪化の一方を辿るようだ。
明日降りるしかない。明日を逃せば暫く閉じ込められそうだ、ただし明日ロープウェイが運行しているのが条件だ。
思案しながらもウトウトとすると、テントごと根こそぎ飛ばされそうな突風が襲い睡眠を妨げる。西穂高からの一方的な風である。テントが押され埋まるのが解るが、除雪に出る気がしない。埋まる方が風に耐えられるように思えるし、溶けた出入口の穴と換気口からの通る風で換気も問題ないし、小用はペットボトルで済ませられる、出る必要がない。
昨晩は殆ど寝付く事が出来なかったが、今日は駅まで1時間と少し歩くだけで熱い温泉に入れると甘い考えで(後に解る)、足で雪を押し退け一苦労して外に出ると西穂高岳側は3分の1程埋まっている。一晩で50センチは降ったようだし未だ降り続けている、風も強い。
除雪後テントに戻り朝食を取り、テント撤収に掛かる、ここでも油断があり、吹き飛ぶ物は確保しているつもりだったがテントの収納袋が飛ばされた。気付いた時遥彼方まで持って行かれている状態、奪還に行こうすると更に遠くに移動、ここで大勢に影響なしと回収を諦める。
テント撤収後小屋に非難、ロープウェイの運行状況を聞くもやはり運休。本日は動かない模様、小屋のテレビでは明日更に天候が荒れると気象情報。
今日降りなければ、2、3日は閉じ込められる恐れがある。27日の月曜日まで動けない。これは大問題、仕事が有るしここに3日間も居座っても仕方がない。
方法は歩いて上高地か新穂高温泉に下山。今の状態では吹雪いているし視界が悪い、当然トレースなし、それこそ下山に3日はかかる。最悪遭難になりかねない、その選択肢は消えた。
小屋の人の話だと、夕方には一時期風が止む時が有ると、《なぎ》の状態なると言う。
それに賭ける事にした。テント泊の東京の人、年齢は30代後半、フル装備を持ち体重も重い、おそらく80Kg十装備30Kg=110Kg以上。彼と相談し午後1時に小屋を出て、3時頃に着けば良いと、運休でも、駅内でテントも張れるし、水も有るし、運行したら即乗車出来少しでも早く帰阪出来るとになる。
他の小屋泊の10人はテント、シュラフ、食料も無いのでここに居るしか方法は無い。ただお金が続くかが問題。
午後1時5分くらいに小屋を後にする。彼はフル装備なのに何故かワカンは持参せず(10.5ミリの50Mザイル、登攀道具も持参)、ツボ足で潜りながら行くしかない。彼110Kgでワカンなし、私53kg十装備23kg=76kgでワカン有り。この差は、トレース無しの雪山は後に響いてくる。
ユックリと股から腰くらいの新雪を押し退けて先行する、道は10mおきに竹竿が有り視界が悪くとも迷う事はない。
彼が遅れて来るので要所で時々待つが、1時間経てもあまり進まず、このままユックリペースだと3時には着かない、トレースは着けているので迷う事もないし、早く着けば応援にも行けると考え、待たずに途中から飛ばす。
3時過ぎるも半分くらいしか稼げてないようだ、このままだと時間切れで運行しても間に合わない可能性が出てきた。更に飛ばす、その時ドヤドヤと足音がする、振り向くと東京の彼ではない大勢の人の群れが迫ってきた。《ラッセル交代しましょう》と声がかかった。小屋泊の人達だ、ロープウェイが動くと小屋に連絡が有り、それで1時半過ぎに出たそうだ。30分程度で追いついたようだ、早い。
10人はいる、後は任し最後尾を休憩しながら続く。駅近くになると除雪した立派な道が現れた。駅員さん達が作ったようだ、行きは無かったように思う。
5時前に到着、追い抜いたので後からも何人かも到着。しかし、東京の彼が未だ到着しない、日没になると運行出来ないので5時半まで待ちますが、その一人が着かないと、遭難として届けますと駅員さんが宣告し、何方か知り合いの方がいますかと尋ねた。しかし彼は単独。空身で向かえに行ごうとした時、遠くで見ていた駅員さんの、来ましたと声がした。これで全員下まで降りる事ができる。安心した。
日没までしか運行しないロープウェイの車内は照明設備が無く、薄暗くなった中に12人が乗り込み、駅員も一人入り、しらかば平経由で新穂高温泉駅に着いた。
その駅で自動販売機の熱いコーヒーを東京の彼から頂き、お礼言われた。
有難うございました、助かりましたと、《先行して下山に付き合って貰って非常に助かった》との事らしい。
そう言えば、今年の年始、私も滋賀の彼に助けて貰った。あの時は彼にラッセルの大半をして貰い助かった。逆になったけど、その時のお返しを今回したのかも知れない。
それにしても荷物を担ぎながらの2時間のラッセルは応えた。
追記、年末年始山行(徳本峠、霞沢岳)はクリスマス寒波より厳しいお正月寒波到来の天気情報が流れ中止にしました。残念また次回に賭けます。
今回の山行も予想外だったが、下界に降り帰りの道中も実に大変だった。
ヘッドランを灯し駐車場に着くと、車が埋まっている。廻りの雪を装備のスコップで取除き、スノータイヤを嵌めているが脱出できず、チェーンを装着して出て雪の少ない処まで移動。そこで食事、暫し休憩の後に帰途に向かうが、峠こえもありチェーンを装着した状態で走るスピードが出ない。高速道路に入るも(チェーンは外した)速度を上げられない。暗闇猛吹雪の中ヘッドライトだけの視界では時速30Kmが精一杯、それでも追い抜く車はいない(道路閉鎖にはなっていなかった)。
睡眠不足と疲れで休憩を多く取りながら走った為帰りは実に11時間も費やした。行きは6時間ほど、倍近くも要した、本当に疲れた山行でした。
(中野)